昨年の秋に、文楽・桐竹勘十郎さんに入門した小川卓也さんが、この春から「桐竹勘介」を名乗って文楽デビューする。中学を卒業した15歳は、文楽で一番若い技芸員さんとなる。
公演前の時間帯に撮影にやって来られた。
15歳とは思えない位、きりっとした顔立ちで、目が輝いていた。
これから長い修行が始まる。そして、数十年後には、文楽を背負って立つ素敵な人形遣いさんになられることでしょう。
頑張って下さい、勘介さん。
桜が満開である。と言っても舞台の話である。
大阪の桜の見頃はもう少し先だが、国立文楽劇場の舞台では桜が満開だ。
4月3日から始まる文楽公演での舞台。
通し狂言の「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」の、きょうが一日目の舞台稽古だった。
午前の部の見どころは、三段目の「妹山背山の段」である。
太夫・三味線・人形遣いの人間国宝が5人も出演され、舞台のセットも壮観で、舞台中央に吉野川が流れ、川をはさんで満面に咲き誇る桜のなかに妹山背山がある。
私としては、この通し狂言を観るのが4回目であるが、午前・午後を通して長丁場の舞台にもかかわらず、毎回楽しみにしている舞台のひとつである。
あしたの舞台稽古は「道行恋苧環」が楽しみである。
4月文楽 4月3日(土)〜4月25日(日) 国立文楽劇場
文楽の初春公演も無事終わって、ほっとしている。
初春らしく、お目出度い出し物が多かったので、明るい気分で撮影が出来た。
心地よい三味線の音に合わせて、知らずして調子を取っていたりもする。
撮影は、午前の部と午後の部を一日で撮影するので、スタンバイ時間から数えると、十時間以上にも及ぶ。
中日を過ぎてからは、人形と小道具の、かなりハードな記録撮影もある。
そんな、まだ少し疲れが残っている時に、嬉しい郵便物があった。
封筒の中身は、初春公演の『大入り袋』だった。
この大入り袋は、お客さんが大入りの時に、関係者にねぎらいと祝儀を兼ねて出すお金を入れた袋である。
お金と言っても、だいたい5円が相場である。(ご縁が有るように)
金額がどうのこうのではなく、この公演が多くの人に観て頂けたことの証であるので、少しでも関わっている者としては『大入り袋』が出ると本当に嬉しい。
残っていた疲れが、これでやっととれた。
今年最後の撮影が、やっと終わった。
昨日ときょうが、初春文楽公演の舞台稽古だった。
初春公演とあって、演目はお目出たいものが多かった。
舞台天井には、来年の干支「寅」の文字を書いた凧と、全長3メートルの張り子の鯛2匹が飾られ、劇場正面にも門松が立てられて、あとはお正月を待つのみとなった。
初春文楽公演は、国立文楽劇場で1月3日から始まる。
一年のトリ、師走の文楽カレンダーは、『艶容女舞衣 はですがたおんなまいぎぬ(酒屋の段)』のお園=吉田簑助師匠(人間国宝)。
通称・酒屋は「今ごろ半七つぁん、どこにどうしてござろうぞ」のクドキでおなじみの文楽である。
茜屋の半七は美濃屋の三勝と深い仲になり、女児までもうけていた。半七の女房、お園は、実家に引き取られていたが、日夜泣き沈んでいるので父親、宗岸は病気になってはと思い、娘を茜屋へ連れて行く。姑は喜ぶが、舅の半兵衛は、息子は勘当したので嫁はいらないと断る。宗岸は半兵衛が半七の身代わりに縛り上げられていると見抜く。
半兵衛は、友人に欺かれて人を殺した半七の命を助けるため身代わりになったのだ。親たちが一間で、語るうち一人お園は、帰らぬ夫を慕うのである。
「今ごろ半七つぁん、どこにどうしてござろうぞ」
文楽12月 師走カレンダー
艶容女舞衣(酒屋の段)お園=吉田簑助 写真=森口ミツル
カメラのファインダーに、天皇、皇后両陛下のお姿が写しだされている。
天皇、皇后両陛下は、即位20年をお祝いする京都御所で開かれる茶会に出席されるため、16日、大阪国際空港に特別機で大阪入りされた。
本日17日、文楽をご覧になられるために国立文楽劇場にお見えになった。
午後1時28分、国立文楽劇場の楽屋口にご到着された両陛下は、お出迎えの文化庁長官や文楽大夫の竹本住大夫、人形遣いの吉田簑助(いづれも人間国宝)らに笑顔でお答えになられている。
そんな瞬間を、私のカメラがとらえている。
先ほどまでの緊張を忘れたかのように、次から次へとシャッターを切った。
この後、錦秋文楽公演の「芦屋道満大内鑑」の「葛の葉子別れの段」をご覧になられた。
これまでに無い、初めて経験する撮影である。
おそらく、最初で最後であろう一世一代の撮影でもあった。
仕上がった写真を今眺めていると、忘れていた緊張感がまたよみがえった。
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